World.02 柳野かなた

『灰と幻想のグリムガル』(以下『グリムガル』)を手がける十文字青。そして『最果てのパラディン』(以下『パラディン』)を手がける柳野かなた。 共にファンタジー世界で重厚なドラマを生み出す2人が語った、それぞれの作品の魅力とは。そして2人が考えるファンタジーとは?

――まず柳野さんが『グリムガル』を読まれた感想を聞かせてください。
柳野
『パラディン』は理想寄りに書いていたので、『グリムガル』は現実寄りというか、身近でよくある等身大のリアルな冒険ファンタジーに、すごく惹き込まれました。
十文字
僕はああいうのしか書けないというか。
逆に、『パラディン』の主人公・ウィルみたいなヒーローは書きたくても書けないですね。
書くと、どうしても生臭くなっちゃう。
ヒーローらしいヒーローを書きたいのに、書けないもどかしさを覚えることはあります。
柳野
僕は逆にもうちょっと等身大のキャラを書きたいんですけど、やっぱり理想寄りになっちゃうというか。
十文字
作品においてどういったキャラクターが登場するかは、お話の舞台とかテイストにもよりますよね。
『パラディン』は、超人的な力を身につけたヒーローが主人公の英雄譚じゃないですか。
そうなると、身近なキャラが介入してくる余地ってそんなにない。
メネルとか、そんなに強くないのかなと思ったら、めっちゃ強いし。
だけど、あの戦いだったら、凡人みたいなキャラクターって出せませんよね。
柳野
でも、いつかは書いてみたいなあと思いますね。
あと、十文字さんは本当に人間関係などを描くのがお上手ですよね。
ネットで感想を見ていると、ランタに対する罵詈雑言とか随分出てきたりするんです。
確かに、クラスとか身近にいたら嫌だけど、突き放して絶縁するほどではない、みたいな。
絶妙に憎めないキャラづくりは僕も参考にしたいです。
十文字
僕もランタは超嫌いなんです。
ただ、嫌いだからといって、もう見たくないとは思わない。
嫌いな奴は正々堂々とディスりたいタチなので。
変な言い方だけど、嫌いな奴ほどある意味、好きなのかもしれません。
だから、ランタは大嫌いですけど、やっぱりそのぶん好きなのかな。
柳野
僕は「イヤな奴」を描くのが苦手で。
イヤな奴っぽく見えても、実は尊敬できる奴みたいなキャラクターにしがちなところがありますね。
――では、『最果てのパラディン』を読まれて十文字さんはいかがでしたか?
十文字
真っ先にTRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム)を思い出しました。
柳野
そうですね。
ものすごく影響を受けています。
十文字
昔、ゲーム雑誌で『ロードス島戦記』のTRPGや『ソード・ワールドRPG』などのプレイ記録を作品化したもの、いわゆるリプレイを読んだことがあるのですが、それに近いところがあるなと思いました。
ほかにも、『指輪物語』や『ゲド戦記』など、ライトノベルができる前のファンタジーの系譜に繋がるような印象を受けて。
今の若い読者さんからするとかえって新鮮かもしれないですが、僕はまあ、そこそこ古い人間なので、とても懐かしかったです。
柳野
まさにそのとおりで、無印の『ソード・ワールドRPG』なんかをすごくやりこんでいました。
なので、ここでNPC(ノンプレイヤーキャラクター)を出して、ここでボスを出して、というゲームマスターをする時の流れを意識して書きましたね。
十文字
TRPGのキャンペーンシナリオのように、主人公が一連の流れをクリアしていって、物語が進んでいくみたいな。
ただ、第1巻から第2巻はがらっとテイストが変わったような気がします。
柳野
最初に、とりあえずここまでは書こうと考えていたのが第1巻の内容で、できるなら伸ばしていこうと思っていたのが第2巻の内容です。
確かに切れ目はあるかもしれません……。
十文字
第1巻までの内容は、個人的には「なろう」っぽくないように感じました。
逆に、第2巻の、特に冒頭はずいぶん「なろう」っぽいじゃないですか。
柳野
僕としては、最初から最後までずっと「なろう」のテンプレって言われるような筋をなぞっていたつもりなんですよ。
十文字
なぞれてない(笑)。
柳野
気持ちの上ではなぞっていたんですよ(笑)。
ただ、「新鮮です」といったものであったり、逆に「懐かしい」という内容の感想が多かったですね。
――『パラディン』へも大きな影響を与えているというTRPGですが、柳野さんはTRPGをよくプレイされるのでしょうか?
柳野
プレイヤーもゲームマスターも、ものすごくやってます。
十文字
そうなんじゃないかと思っていました。
ライトノベルの作家さんはTRPGの経験者がわりと多いんですよね。
僕もプレイしたかったんだけど、上手くいかなかったんです。
なにしろ、当時はヤンキーに毛が生えたような人しか周りにいなかったので。
ルールブックを買って、シナリオを作って、「よし、やるぞ!」と人を集めたんですけど、みんなすぐに飽きちゃって、ぜんぜんゲームになりませんでした。
ちなみに、柳野さんはいつ頃から?
柳野
大学生の時ですね。
リプレイを読んで興味が出て、オンラインでのセッションに飛び込みました。
なので、普段はオンラインをメインでやっています。
オフラインだと準備が大変ですけど、オンラインだとダイスも用意せずに、チャット据え付けのダイスで振れますし、ルールブックも手元でめくれるのですごく楽です。
十文字
僕が子供のころはネットがなかったので、同じ趣味の人というか、仲間を見つけるのも大変だったんです。
周りにそういう人がいれば、僕もちゃんとしたオタクになれたと思うんですけど。
柳野
趣味といえば、十文字さんは音楽とかをされてたんでしたっけ?
十文字
音楽は一人でできるので……。
小説を書くのもそうですが……。
――ほかにも、TRPGをやっていたことによって、創作活動に反映できたことはありますか?
柳野
キャラクターを作る時、一緒にゲームをしていた人のキャラクターをモデルにすることがあったりしますね。
第2巻から出てくるレイストフさんは、少しだけ知り合いの演じる、いわゆるロールしているキャラクターに寄せています。
十文字
あんな渋いロールするの!?(笑)
柳野
渋いロールが大好きな人で、ハードボイルド系のキャラクターをよくやりたがるんですよ。
なので、このキャラクターの行動は、あの人ならこういう行動をさせるだろうな、といった感じでキャラクターを動かすときに参考にすることはありますね。
十文字
柳野さんもそうですけど、TRPGの経験がある人はキャラクターの描き分けが上手だったりしますよね。
自分自身だけじゃなくて、他の人が演じるキャラクターも見てるからなのかな。
柳野
プレイ中でも、パーティー構成の都合で、「今日は神官をやってくれ」と言われることもあるんです。
やったことがあるからこそ書ける描写もあるので、幅は増えますね。
ほかにも、最近のTRPGだとダイスで経歴を決めたりもするので。
この子はお金持ちの家に生まれたとか、人に裏切られた経験がありますとか。
十文字
それをもとにしてロールプレイをするんですか?
柳野
そうですね。
でもそれは考えるのが苦手な人たちのための救済措置みたいな感じですが。
十文字
そこまで来ると俳優さんみたいですよね。
プレイ中はけっこう演技したりもするんですか?
柳野
かなり演技する派の人もいれば、演技しない派の人もいますね。
十文字
柳野さんは?
安井
がっつり演技する派です(笑)。
そのほうが面白いですし、オンラインだとお互い顔が見えない分、文字で打ってるだけなのでやりやすいですね。
それこそ、可愛い女の子だってできます。

入口が作られたからこそ、ファンタジーは流行した

――最近、ファンタジー作品が流行していますが、数年前まではファンタジーが売れない時代がありました。ファンタジー作品が流行ったきっかけはなんでしょうか?
十文字
これには持論があって。
異世界転生のおかげで、みんなファンタジーをすんなり読んでくれるようになったんじゃないかと僕は思ってるんです。
安井
現代人の目線を活かしたファンタジーだからですか?
十文字
それもあるかもしれません。
でも、それよりは、「この入口を通ったら別の世界に行けますよ」という、入口がしっかり用意されたのが大きいんじゃないかと。
僕がデビューした頃のスニーカー文庫にはいろいろなファンタジー小説があって。
『ラグナロク』とか、『トリニティ・ブラッド』とか『されど罪人は竜と踊る』とか。
ぜんぶ異世界転生じゃない。
今の「なろう」とはちょっとテイストが違うじゃないですか。
でも、あの時代のファンタジーはああいうものだった。
ただし、ああいうファンタジーが継続的に広く受け入れられたかというと、結局、ライトノベルのメインストリームにはなりきれなかったと思うんです。
『涼宮ハルヒの憂鬱』とかが大当たりして、ラブコメ全盛期になっていったりするし。
――ラブコメと比べて、ファンタジーが流行らなかったのはなぜでしょうか?
十文字
ファンタジー作品は、読んだ人が入り込むのに、どうしてもハードルがあるんですよね。
僕らがまったく知らない世界ですから、『ドラゴンクエスト』とか、『ファイナルファンタジー』シリーズとか、そういったゲームをプレイしたことがあって、知識がある人であれば、ああ、これはこういう世界ね、という具合にのみこんですっと入り込めるけれど、その前提がないとなかなか厳しいんです。
なので、どうしても入口が狭くなってしまう。
――では、「小説家になろう」をとおしてファンタジーが流行った理由は何でしょう?
十文字
異世界転生は、ファンタジー世界へ入り込むためのハードルを簡単に飛び越えられるんですよね。
死んじゃった、そして、生まれ変わったら別の世界にいる。
最初の話に繋がりますけど、「この入り口を通ったら別の世界に行けますよ」というわかりやすい通路が整備されたんです。
いきなりこの物語の主人公は僕らが住んでいる世界とは違う、ファンタジーの別世界にいますと言われるよりも、そういう通路があったほうが入り込みやすいでしょうし。
柳野
あとは、転生モノの他に召喚モノがありますけど、あれはかなり歴史も古いですよね。
『ナルニア国物語』は衣装ダンスを開けたら、とかですから。
十文字
『ハリー・ポッター』なんかも、魔法学校のお話だけれども、現実の世界から柱に突っ込んで横丁を通って魔法の世界へ行くじゃないですか。
あの入口がなくて、いきなり「あなたは魔法の世界の男の子です」っていうふうに主人公が設定されたら、やっぱり入り込みずらかったと思うんですよね。
なので、「なろう」でそのあたりが定番化したのが、ファンタジーが再流行したひとつのきっかけじゃないかなと僕は考えています。
――そんな、「小説家になろう」で定着したファンタジー小説の書き方を、作品へどのように活かしていますか?
柳野
『グリムガル』もその辺りを意識されているのかなと思いました。
記憶を失った状態でいきなり目覚めて、謎めいた状態で、洞窟を抜けたら、みたいな。
十文字
僕は元々、自分の書く小説に対してちょっと不満に思う部分があったんです。
僕の小説って、だいたいキャラクターを作り込みすぎちゃっていて。
過去にこういうことがあって、この世界はこういう成り立ちで、こうなって、だからこの子はこうで、みたいに積み上がった状態から始まることが多いんですよね。
でも、読む人は最初、何もわからないわけですから、ゼロからのほうが良いだろうし、いっそのこと主人公たちも同じ状況に置いちゃったらどうだろうって思ったんです。
柳野
読者と登場人物の視点、知識量を揃えるっていうことですよね。
そうすればスタートが同じですから。
しかも、そこから始まるのが等身大の冒険というのがまた良かった。
『ウィザードリィ』を攻略情報を見ずに、Lv1からやっていくような。
十文字
僕はRPGをよくプレイするんですけど、最初の弱い状態からある程度のところまで育てるのが大好きなんです。
でも、そこから先はあまり興味がなくて。
強くなってしまうと冷めちゃうんですよね。
柳野
シミュレーションゲームも半分ぐらい制覇するまでが一番楽しいですよね。
お話としては、Lv1からLv10ぐらいまでで四苦八苦しているのが楽しいです。
十文字
とはいえ、ウィルはすごく強いですけどね(笑)。
第1巻が終わった時点で、もう仕上がってますから。
柳野
そこは、いわゆる「なろう」テンプレです。
「なろう」が面白かったので、そういう物語を自分なりに書いたらこうなりました。
十文字
「なろう」で読者を意識して踏襲したんですね。
「なろう」の読者も読みやすく、オールドファンからしたら懐かしく、若い人からしたら新鮮で、良いバランスで作られてるなと感じました。
あと、世界観が細かく作り込まれてますよね。
柳野
その点だともう『グリムガル』には及ばないです。
――先ほどお話し頂いたように、近年、ファンタジーが再流行してきていますが、お二人はこれからファンタジー小説はどうなると思いますか?
柳野
もっといろんなパターンが出てくるんじゃないかなと。
「なろう」で異世界転生モノっていうパターンが出てきてから、古風にやってみたり、コメディに寄せてみたり、ゲームっぽくやってみたりと、いろんなフォロワーを生む幹とも言うべき作品が出てきたじゃないですか。
それと同様に、もっと葉が茂って枝が伸びて、さらに一概に語りずらくなるんじゃないかなと。
あまり人の共感を得られなかったものは埋もれて、共感を得たものが日の目を見る。
栄枯盛衰のサイクルが「なろう」は非常に早いですから。
十文字
僕も同感です。
ただ、懸念しているのは、従来のライトノベルもそうだったんですが、それ以上にサイクルが早いというのと、瞬間最大風速がとにかく重視されるから、腰を据えて取り組まないと書けないタイプのお話が成功しづらいところでしょうか。
さっと入れるように整えられているものじゃないと読んでもらえないというのは「なろう」の現状としてあるので、どうしても偏りが出ちゃいますよね。
個人的に面白く読める作品はゆっくり進むものだったりするので、そういうものを上手くたくさんの人に読んでもらえる方法があるといいんですけど。
じっくり伝わってじわじわ広がっていくお話が、もっと生まれたらいいなあと思っています。

日本だからこそ生まれるファンタジー作品ができたら面白い

――十文字さんはファンタジーに対して思うところがあるとか?
十文字
日本でファンタジーと言うと、もちろん例外はありますが、どうしてもいわゆる西洋的なファンタジーになりがちじゃないですか。
なんでそうじゃなきゃいけないんだろうって、ときどき思うんです。
当然、日本はヨーロッパじゃないし、アメリカの親戚でもない。
西欧文化の影響を多分に受けて、フィクションの面でも親しんできたから、そうなってもしょうがない理由はあるんです。
でも、もう少し日本の文化やメンタリティに根差したようなファンタジーが生まれてもいい。
柳野
『精霊の守り人』とか、ああいう感じですね。
十文字
あの作品は僕が想定しているものに近いですね。
別に和風じゃなくていいんですけど。
もっと現代的で、「これは日本でしか絶対に生まれないよね」というようなファンタジーの世界はできないものか、というのが僕の中にはずっとあって。
そういったファンタジー小説が出てきてくれたら面白いな。
もちろん、自分でも書きたい、作りたいという気持ちはあります。
でも、誰かやってくれないかなと。
柳野
僕も読みたいですね。
TRPGだと、一応、ルールブックとしてはいろんな世界観のものがあるんですけど、やっぱり一番人気は西洋風のファンタジーか現代の異能モノ、あとはクトゥルフ系のホラー。
皆で遊ぶので、皆で共通認識が作りやすい世界観じゃないと辛くて。
誰も見たことがないような世界や文化がルールブックに記載されていても、皆が上手くロールできるかというと、当然そんなことはない。
だから、むしろどこかでちょっと見たことがあるようなものの方がTRPGだと遊びやすいんですよね。
十文字
小説の場合も似たようなところがあるでしょうね。
僕がデビューしたころのスニーカー文庫のファンタジーはJRPGみたいな感じでしたけど、そういうのがもっとあってもいいのに。
アメリカだと、人類文明が崩壊した後の世界を舞台とした、いわゆるポストアポカリプス、ゲームで言うと『Fallout』シリーズとか。
ああいう系統のものって、広義のファンタジーに含まれると思うし、「新しいファンタジー」の一形態とも考えられる。
日本におけるそういう意味の「新しいファンタジー」を挙げるとしたら、『女神転生』シリーズの世界とか、『Fate』シリーズとか。
いわゆるファンタジーとはだいぶ違いますけど、西洋とか東洋とか関係なく全部ごった煮で、ある舞台でそれがすべて集約された形で出てくる。
いろんなものが混在しながら何か一つの大きな物語を作る、こういう形ってすごく日本的じゃないですか。
柳野
伝奇モノの系譜に属してるような感じの作品をさらに発展させたような感じですよね。
十文字
『Fate』シリーズみたいに、ありとあらゆるものをミックスしちゃうっていうのは、文化的、歴史的な背景なんかもあって、おいそれとはできなかったりしますし。
柳野
ある意味日本独特ですよね。
宗教的無節操さというか。
十文字
それができちゃう、やってしまえるっていうのは日本ならではなんじゃないかという気はするから、そういった作品がこれからもどんどん生みだされていったら面白いんじゃないかなって。
そういうのが「なろう」なんかで次々と書かれるようになれば、その中からきっと傑作が生まれるだろうし。
「なろう」みたいな場所って、一回何かに火がつくと、みんな競って手を替え品を替え、大喜利みたいなことになったりするじゃないですか。
その中からはすごいものも出てくると思うし。
それが一つのジャンルとして確立して、一気に太い幹として育っていく。
そんなことが起こって欲しいという期待はあります。
――ありがとうございました。インタビューは以上になります。

Profile

柳野かなた やなぎの・かなた

作家。『最果てのパラディン』を手がけている。
原作1~4巻、コミック1巻が好評発売中。
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